2017-05-14

クリーピー 偽りの隣人


2016年公開の黒沢清監督作品。黒沢監督と言えばすぐに「キュア」を連想するがこの作品はある意味「キュア」に匹敵するインパクトのある怪作だ。

ストーリー
元刑事の高倉はとある大学で犯罪心理学の講師をしている。家族は妻の康子と大型犬が一匹。高倉家は最近一軒家に引越して来たばかりだが引越しの挨拶に行った際に会った隣家の西野という男の異様な態度に不安を覚える。

この男一見無愛想に見えるのだが急に明るく話しかけて来たり自分の不遜な態度を詫びたり、かと言って気を許すと急に脅迫めいた言葉を吐いたりして全く掴みどころがない。また西野には澪という中学生の娘がいて彼の妻は病気で臥せっているとの事。

ある日刑事時代の後輩・野上が高倉の元を訪ね数年前に発生した日野市一家失踪事件の捜査を手伝って欲しいと頼む。この事件は日野市に住む本多家の夫婦と息子がある日忽然と行方不明となり、たまたま修学旅行で不在だった娘の早紀だけがとり残されたという不可解なものだった。

高倉は興味を覚えて調査を始めるが早紀から両親や兄が謎の人物と頻繁に電話をしたり会っていたようだとの情報を得る。そして彼女は記憶の糸をたどり隣家の庭から自分の部屋を見上げていた男がその人物ではないかと直感し高倉に告げる。

高倉の情報から野上が本多家の隣家を調べたところ押入れの中から本多家の3人と隣家の住人と思われる2人の遺体を発見する。単なる失踪事件が殺人事件へと発展し警察も本格的な捜査に乗り出すが謎の男の正体は杳として知れない。

そんな時高倉は西野家の娘・澪に「あの人本当のお父さんじゃない」と突然告げられ困惑する。そして我が家と西野家の位置関係が日野市の本多家とその隣家の位置関係に酷似していることを知り得もいわれぬ不安に襲われる。

高倉は西野の経歴を調べるよう野上に依頼するが野上は異様な状況下で遺体となって発見される。西野が日野市の2家族殺人事件に絡む謎の男だと確信した高倉は西野家に向かうが、そこには邪悪な罠と悲惨な運命が待ち受けていたのだった。

レビュー
黒沢清監督の作品は観る人によって好き嫌いが極端に分かれるのが特徴だと思う。この作品も鑑賞した方の感想は凄く面白かったか全然面白くなかったの両極端のようだ。映画に理路整然としたストーリーや明確な演出を求める人は、黒沢作品に対して「訳が分からん」とイライラしたり怒りを覚えるのではないだろうか。

これは黒沢流の演出が現実離れしていて観念的なせいかも知れない。監督の名作「キュア」でさえ犯人の動機が何なのか、刑事がなぜあんな行動を取ったのか、はっきりと説明されないため分かる人は少ないのではないかと思う。しかし鑑賞後の不安感や恐怖感は言葉では表せないものがあるのだ。

「キュア」では犯人の間宮がわざとトンチンカンな事を尋ね相手が油断した隙に心に鋭く刺さる言葉を浴びせる。この瞬間間宮は相手を催眠状態に陥れて恐ろしい暗示をかけるのだがこのテーマだけで背筋がゾクッと寒くなる。人間の心の闇に忍び込み悪意を持って操作するのだから。

この作品では隣人・西野が間宮と同種の怪物として登場する。相手を不快にさせ強烈な印象を残したのちに懐柔して平和な家庭の隙間に忍び込むのだ。成分不明の薬品を注射して薬漬けにし巧みに家族間に亀裂を生じさせると、自らは手を下さず家族同士で殺し合うように仕向ける訳だ。

黒沢監督はこの作品でも敢えて現実的な描写・演出を控えているように思う。なぜか西野家の地下に防音室があって澪の母親はここに監禁されている。普通の家にそんな地下室があるだけで非現実的と言うべきだろう。しかしこの地下室に通じる通路と地下室の扉が醸し出す雰囲気はその先に待ち受ける闇を想像させ恐怖心を煽られる。

他にもツッコミどころは多数あるがそこにこだわると黒沢作品は全てNGになってしまう。「キュア」に至っては全く理解不能な駄作といわれるだろう。しかし映像作家として黒沢監督を評価する方はかなり多いのではないだろうか。強いていえばダリオ・アルジェント監督作品に脚本の整合性を求めるのが無駄なのと似ているように感じる。

さて本作品の俳優陣だが高倉役は西島秀俊、妻・康子役は竹内結子、そして西野役は香川照之だ。圧巻なのはやはり香川照之の演技だろう。まるで多重人格のようにコロコロ変わる表情と態度、そして言葉。巧みに人の心の隙間に入り込み相手を意のままに動かす怪物ぶりを見事に演じきっている。

原作は前川裕著の「クリーピー」だが現実に起きた北九州の事件を参考にしているのかも知れない。一応原作があるとはいえそこは黒沢監督だけあって換骨奪胎、原作とは全く別物となっているようだ。因みに原作を読んだ人のレビューを見ると「映画よりはましだった」という感想が多くて妙に受けてしまった。

個人的には「キュア」を思い起こさせる映像や描写が盛り込まれているうえ、テーマも人間の心の闇に焦点が当てられており面白い作品だと思った。特に最後近くに登場人物達が車で移動するシーンでは「キュア」のバス乗車シーンと同様の不思議な効果が使用されていてニンマリした。

ラストの結末は意外だったが竹内結子の凄まじい絶叫が元の生活に戻れる喜び故なのか、それとも自分を支配していた主人を失った悲しみ故なのか、どちらとも判別が付かないところも黒沢監督ならではと感じた。「キュア」が好きな人なら観て損はないと思うが今まで「キュア」や他の黒沢作品に縁のなかった人にはあまりお勧めしない。