2019-06-08

ハイテンション


2003年制作のフランス映画。アレクサンドル・アジャ監督の長編2作目でフレンチホラー代表作の1本だ。今回久々に再視聴したのでモロにネタバレありのレビューをしたいと思う。

ストーリー
女子大生のアレックスとマリーは親友同士。その2人が試験勉強を兼ねてアレックスの実家に数日泊まることになる。彼女の実家はトウモロコシ畑の中にぽつんと建つ田舎の一軒家だ。日が暮れて到着した2人をアレックスの両親と弟のトムが出迎えてくれた。

その日の深夜、玄関の呼び鈴を鳴らす者がいる。アレックスの父親が扉を開けると作業服を着て帽子を被った見知らぬ中年男が小型トラックのライトを背に受け立っている。この男、突然刃物で切りつけ屋内に乗り込んで来るやアレックスの両親と弟を瞬く間に惨殺してしまう殺人鬼だった。

殺人鬼は何故かアレックスだけ殺さず口に猿ぐつわを噛ませ手足を鎖で縛ってからトラックの後部に放り込んだ。マリーは巧みに身を隠して殺人鬼の探索をかわしトラックが発車する前に後部に乗り込むことに成功する。2人を乗せたトラックはしばらく走ってからガソリンスタンドに立ち寄った。

マリーは殺人鬼が給油している隙にガソリンスタンドに逃げ込み、店員に警察への通報を頼むが間髪入れず男が店内に入って来てしまう。そして彼女が店内で息を潜めている間に店員まで惨殺される。走り去るトラックを店員の車で追うマリー。しかし尾行がバレてトラックに追突され車が横転する。

足を引き摺りながら近くにあるビニールハウスへ逃げ込むマリーに容赦なく襲いかかる殺人鬼。双方血塗れの格闘を繰り広げた結果彼女の反撃で殺人鬼は息絶える。トラックに駆け寄りアレックスの拘束を解くマリーだが、アレックスは半狂乱になってマリーに襲いかかるのだった。

レビュー
★モロにネタバレしていますのでご注意ください!。
いきなりだがこの作品の犯人はマリーである。彼女は解離性同一性障害または多重人格と呼ばれる病気で、アレックスへの盲愛が常軌を逸した独占欲に変わり凶暴な別人格が現れる。管理人はこの病気に対する医学的知識を持ち合わせていないのであくまで映画で描かれるこの症状についてのみ言及したい。

この症状を描いた映画で特に有名なのはA・ヒッチコック監督の「サイコ」だろう。ノーマン・ベイツが女性に惹かれると彼の亡き母親の人格が現れ息子を誘惑した女性に嫉妬し殺害する。ノーマンの人格に戻ると動揺し母親が犯した犯罪を隠蔽する。ノーマンの行動を決めるのはどちらかの人格だ。

またR・フライシャー監督の「絞殺魔」ではアルバート・デサルヴォは婦女連続暴行殺人の犯人でありながら全く犯行の記憶がない。彼の別人格が殺人を犯している時、本来の彼は水道の配管工事をしていると認識している。そして本来のアルバートが殺人を自覚した時その精神は崩壊し廃人になってしまう。

これらの作品に見られる共通項は多重人格者の行動を支配する人格は1つであり複数の人格が同時には現れないと言うことだ。しかし、本作ではその暗黙の了解を見事に蹴飛ばしている。何せ別人格同士で追っかけっこや格闘までしてしまうのだ。このブッ飛んだ設定には思わず仰け反った。

今回アンレイテッド版のDVDを再視聴したのだが、特典の監督インタビューでA・アジャ監督はその矛盾について一言も触れていない。何故なら彼は本作の撮影に際し殺人鬼VSヒロインの対決という構図をハッキリとイメージしていたからだ。だから殺人鬼が実在するような描写を意図的にしている。

初見の時は終盤に殺人鬼=マリーの事実が明かされた瞬間「反則ではないか」と思ったが、今回の再視聴で論理的矛盾を軽くスルーし殺人鬼とヒロインの対決にフォーカスした演出に対して評価を新たにした。A・アジャ監督は若干25歳でホラー映画の真骨頂=掟破りの演出手法を実践していたのだ。

また、マリー役を演じたセシル・ドゥ・フランスの役作りが素晴らしい。作品の冒頭からマリーのアレックスへの思いと彼女が同性愛者であることが暗示されているので(アレックスのシャワー姿を見た後の自慰行為)、セシルの極端なショートヘアやスリムでしなやかな身体は役柄通りだ。

残酷な殺人シーンも作品の目玉だが特殊メイクはL・フルチ監督の「サンゲリア」で有名なジャンネット・デ・ロッシが担当している。低予算で限界があったと思うがベテランらしい見事な仕事ぶりだ。特に血糊の量が凄くラスト近くの電動丸ノコを自動車へぶち込むシーンは圧巻だった。

まだまだ書きたいことはあるのだが今回はこの辺で。因みにNetflixで配信されているR15+バージョンと観比べてみたが特に差はなかったと思う。残酷シーンもカットされていない。もしかしたら見逃しているカットがあるかも知れないのでその場合はご勘弁を。